概要・年表

新時代

伝統を引き継いで

新しい時代を築き上げる

 

平成13年春は主軸の大半が残り、優勝の一角にあげられていた明大は開幕のカード早大戦に星を落としたのが響いた。ルーキー一場が2回戦に快投したものの3回戦は投手陣がリードを守りきれず逆転負け。立大戦も3回戦まで持ち越され、池田の投、打にわたる活躍で勝ち、慶大戦も一場が初完封して連勝。だが法大1回戦は先制したものの、失策などが合ってわずか被安打3で逆転負け、2連敗して優勝の可能性が消えた。
 
 投手陣で1年生だった一場が活躍、池田とともに力投した。また東大2回戦で先発した女性投手小林も話題になった。しかし肝心の法大戦では踏ん張れず優勝から脱落し、4位という結果に終わった。
 
 秋はスタートの慶大戦につまずいたのが響いた。エースの池田がいまひとつ調子が出ず、打線も粘りを欠いた。つづく立大戦では池田が好投、前田に一発がでて立ち直るかに見えた。ところが法大戦には1回戦にチャンスを生かせず引き分け、一場が完封を収めたが、3、4、回戦では投手陣がリードを守れず連敗。
 
 早大戦には池田の戦線離脱に代わって長尾が1、4回戦に完封を飾りその穴を埋めたが早大と同率5位に終わった。
 
 岩元、庄田らはよく打ったものの主砲前田と春によく打った西谷の不振など打線がつながらず、オーダーもなかなか固定することが出来なかった。
 
 14年春は法大と同率3位。第2週の立大戦で、2年生の一場の完封、ルーキー原島の3点本塁打などで、苦しみながらも勝ち点を手にし、第3週の慶大戦で、一場の2試合連続完封で連勝、続く東大戦も連勝して優勝戦線に踏みとどまったが、早大の壁は厚く、優勝の扉はこじあけられなかった。
 
 秋は早大の連覇を止めることができず、2位。初戦の慶大戦を一場の3安打完封の好投で連勝し好スタートを切った。第2週の法大戦も引き分けを挟んだものの勝ち点をとって、早大との決勝に挑んだが、0-7、2-6と豪腕和田毅の壁は高く乗り越えることはできなかった。この敗戦が尾を引いたのか、第5週の立大戦で不運な太陽安打が決勝点というアクシデントで勝ち点を落としたのが痛かったが、最後まで優勝争いに踏みとどまりリーグ戦を盛り上げた。
 
 15年春は岡本・牛田・一場の三本柱を擁し投手王国として期待され、勝ち点3同士で第6週の早大戦を迎えた。1回戦は完封負けしたが、2回戦では途中から登板した佐藤賢投手が早大打線を見事に封じ、自らの一打で勝利を決めた。しかし、3回戦でその勢いは止まり、惜しくも2位に終わる。一場は防御率リーグトップ記録を残し、投手陣は好成績を収めたものの打撃陣の貧打に泣いた。
 
 秋は第2週の東大1回戦に勝利し、リーグ通算1000勝を達成。春と同じく勝ち点3同士でむかえた早大1回戦では、佐藤賢投手が好投したものの、早大・清水投手の前に打線が沈黙。翌日の2回戦でも敗れ、2季連続2位に終わったが、リーグ戦の10月9日斎藤茂樹監督が急逝した中、呉本主将を中心にまとまりをみせた戦いだった。
 
 16年春はエース一場の活躍を中心に12季ぶり完全優勝を成し遂げた。初戦の東大戦以外は全て1回戦で星を落とす苦しい戦いを強いられたが、2回戦を任された左腕・清代が中盤過ぎまで力投。一場につないで3回戦に持ち込み、3回戦では一場が先発完投し勝ち点を奪取した。打線はやや波があったものの、一試合平均10本の安打を放ち、打撃十傑には主将西谷ら4人が、ベストナインには5人が選ばれる活躍だった。
 
 全日本選手権では準決勝で東北福祉大学に敗れベスト4。2回戦の対広島経済大戦では、一場が大会史上4人目の完全試合を達成した。
 
 世界選手権、日米選手権メンバーには一場・西谷・宇津野の3選手が選出された。
 
 16年秋は、一場の退部が大きく響いたシーズンだった。初戦の東大1回戦では松家から2安打しか奪えず完封負け。辛うじて3回戦まで踏ん張り勝ち点を挙げたものの続く早大、法大に4連敗。慶大1回戦では清代が5安打完封したが、2、3回戦では1点しか奪えずまたも連敗。最後の立大戦では水田の活躍で連勝したが、時すでに遅かった。

 

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